第3次世界大戦

主にエクステシアとルージアの2国が戦った世界大戦。
そのエクステシア、ルージアと利害関係に当たる同盟国家も戦争に巻き込まれ、
世界中で戦争をするにいたった。

当サイトのデータベースなどで「先の大戦」と書かれたものに関しては、大抵この大戦を指すので留意願いたい。


開戦

国家同士の集まりである国際連合において開設国であるエクステシアをはじめ、その同盟国が大きな発言権を得ていたことに不満を持っていたいくつかの小国がエクステシアに対して不満を持ったのがその始まりとされる。
南暦1970年において最初にデュラハ共和国が国際連合の脱退を見せかけた事により、国際団体としての国際連合の存在が疑われることを懸念したエクステシアが小国に対する発言権を増やした。
その後、発言権が平等になるに至るが、いくつかの議題が処理できなくなると言った事態が発生する。
その後、発言権を元の基準に戻し、再び不満が広がることとなる。
南暦1971年において革命によって騒ぎが起こったルージアが国際議論に参席出来ないという事件が発生。
その不参席を理由にルージアの国際連合における権威が低下し、理由が不純と不満を告げ、国際連合における発言権を元に戻すように申請した。
しかしエクステシア一国の否認発言からルージアの発言権は元に戻らず、ルージアが国際連合を脱退した。
そのルージアが率先して前述の小国が国際連合からの脱退を行い、ルージアの同盟国も同時に脱退した。
その後、ルージアがエインセル軍事条約機構を設立。国際連合の軍縮の規制枠を越えた軍拡が参加国内で行われた結果、国際連合が警告を出す。
その後も軍拡が行われた結果、国際連合が軍を派兵すると宣言。
その2ヵ月後、国際連合ビルが爆破される(この事件はルージア軍が行ったと言われているが、実際のところは良く解っていない。)
これをエクステシアが社会主義国ルージアの仕業と仕立て上げ、批判。
その1週間後、ルージア大統領アンドレイ・アシモフの「エクステシア帝国発言」による宣戦布告。
それをきっかけに国際連合に不満を持っていたエインセル軍事条約機構参加国がエクステシアに次々と宣戦布告し、第3次世界大戦が開戦した。


経緯と終戦